グツグツと煮えたぎる鍋。この試験管の中に入った黒い液体を入れるだけで、もう完成する……。
 これさえ成功すれば、「私の思い通りのモノ」が出来上がる。
「……」
 私はそーっと、そーっと試験管の液体を鍋に入れた。
 黒い液体は、鍋の中で弧を描くように広がって、そして――
「ッ!」
 ぼふん。火にかけていた鍋から、黒煙がモクモクと立ち上った。
「……けほ」
 煤(?)まみれになった自分の体を見つつ、私は咳き込んだ。
 またなの? どうして私の思い通りのモノが出来ないの?
「あーん! もう! どうしても出来ないーっ!」
 私は髪の毛を両手で掻き毟って、苛立ちを露にしているところで上海に止められた。
「シャンハーイ」
 上海は心配するような目で私を見つめている。
 ああ、ごめんね上海。私のやり方が悪いだけだよね……。
「……。なんでだろ?」
 ちゃんとレシピは調べた。作り方も覚えた。じゃあ何が悪い? レシピをメモしたグリモワールを睨んでみると、
「醤油って……。ここで入れるんだっけ!? 最後じゃないの!?」
 自分の間違いにすぐに気付いた。
 しまった。醤油は最後じゃない……。落し蓋をした後に醤油を入れるなんてなんたる失態。
「これじゃあ肉じゃがなんて一生作れないよー……」
 椅子に座って、溜息を吐いた。
 上海はテーブルに座って、せっせと自分のノートに文字を書いている。
 喋る事の出来ない上海は、文字だけが会話する手段だからだ。
 私は上海が何かを書き上げるのを待った。やがて、上海はノートの内容を私に見せた。
『私が作ろうか?』
 た、確かに上海は料理とか作れるけど……。
「ちょっ、上海。それじゃ意味が無いじゃないの!」
 私がこう返答するのを予測していたのか、上海はすぐにノートのページを繰って、
『だよね。やっぱりアリスの手で作らないと……』
「……ええ、そうよ。ちょっと失敗したからって挫けちゃ居られないわ。早くやり直さないと」
 いつも上海に料理を任せていた自分が悪いのだ。
 ここで頑張らないと、と胸を叩いて私は椅子から立ち上がろうとした。が、袖に柔らかな力を感じて、振り返る。
 見れば、ノートを持った上海が私の袖を掴んでいる。まだ何か用があるの?
 ノートには、
『でも、もう9回目だよ? 失敗』
「うっ……」
 ああ、上海。それを言わないでよ……。自信無くしちゃうじゃないの。
『ご、ごめん。でも……流石に……』
 ……うん、分かってる。私一人じゃ無理な事くらい分かってる。
 どーしよっかなー……。

 そもそも私がこんなにも頑張って肉じゃがを作るのかと言うと。理由を思い出せば2日前に遡る。

「なー、アリスー」
 魔理沙はテーブルに顎を乗せて、だらけた格好で座っている。
 そんな魔理沙に少し心臓の鼓動を早くしつつも、私は応える。
「な、何よ」
「なんかさー。肉じゃが食いたくないか?」
「に、肉じゃが?」
 そうだよー、と魔理沙は前置きして、
「女だったらさー、肉じゃがくらい作れないと、って思うんだ。最近な」
「それは随分な偏見ね……」
 紅茶を淹れつつ、投げやりな返事をする。
 ふん、別に肉じゃがなんて作れなくても良いんだから。
「あ、お前その顔は。作る気無いな?」
 魔理沙は頬を膨らませて言う。
「な、何?」
 私の妥当かと思われる返答に、魔理沙は呆れた顔をする。
「かーっ! お前ってほんっと鈍いよなーっ!」
「え、ええ?」
「私はな、お前に作って欲しいんだよ! 肉じゃが」
 魔理沙は、屈託の無い笑顔で私を見つめていた。

 それで、明日の昼には魔理沙がやってくる。それまでに肉じゃがの作り方をマスターしないといけない。
 そうだ。魔理沙のためなんだ。それなら……ここで諦めるわけには……!
「もう一回、がんばろ」
 とりあえず、もう一度材料を揃えないと。
 多めには用意していたけど、失敗続きで全部無くなっちゃったし……。
「とにかく、買いに行かないと」
 上海に荷物を用意させて、私は家を出た。

 とりあえず、人里にやってきた。
 色んなお店から、客寄せをする声が聞こえて、大人から子供まで老若男女問わず行き交うこの土地は、賑やかで、正直ちょっと疲れる。
 でも、ここなら肉じゃがの材料くらいは揃うだろうし。
「とりあえず……。お肉から買うかしらね」
「シャンハーイ」
 上海は手を上げて返事する。うん、荷物持ちは任せるわよ。
「……シャンハーイ」
 上海の声のトーンが一つ落ちる。あれ? 荷物持ちをやってくれるんじゃなかったの?
「シャンハーイ!」
 上海はペシッ、と私を叩いた。
「あはは、ごめんごめん」
 ノートが無くて、会話手段を持たない上海をからかうのはちょっと楽しい。
 これだからおでかけはやめられない。
「さて……。遊んでる場合じゃないわね」
 さっさと材料を買って、帰って肉じゃが作りに挑戦したいしね。
 私はとりあえず財布だけ用意して、お肉屋さんへと向かった。
 って、目の前なんだけどね……。
 さっさとお肉を買って、次は八百屋に行くとしよう。
「あの、このお肉を――」
 お店の主人に話しかけたその時、
「あれ? アリス?」
 声がした方を反射的に見てみると、そこには魔理沙がいた。
「ま、魔理沙?」
「あっれー、お前も買い物に来てたのか」
 魔理沙はこっちに歩み寄ってきた。ちょっとだけ後ずさってしまう。
「な、何で魔理沙が居るの?」
「んー? 何って。私だって料理くらいするぜ? だから、今日の夕飯の材料を買いに来たんだ」
 な、なんですって……。私はその一言にすごく驚いてしまった。
「女の子って……。料理するのが普通なの!?」
「え? 何か言ったか?」
「あ、いや何も」
 あ、危なっ。今の言葉が聞こえてたら……。
 で、でもそんな常識があるなんて初耳。……私ももっと料理練習しようかな……。
「ま、さっきも言ったが私は夕飯の材料の買い物に来てたんだ」
「う、うん」
「だけどその必要も無さそうだな……」
 魔理沙はそう言うと、おもむろにお肉屋の商品を取って、会計をするよう店の人に頼んだ。
「これこれ。肉じゃがにはこの肉がよく合うんだぜ」
「ちょっ、魔理沙? 夕飯の材料が必要ないって……」
「ああ。今から作ってくれるんだろ? 肉じゃが。だから、材料の金くらい私が払うぜ」
 ……まだ練習途中なのに……来るの!?

 あの後、八百屋とか色んな店に寄って、帰る事にした。
 心の準備がしたくて、歩いて帰ろうと魔理沙に言ったら、
「何言ってんだよ。私はアリスの肉じゃがが早く食べたいんだ。だから私の箒に乗れ!」
 という訳で箒で飛んで、あっという間に私の家に帰ってきてしまった。
 うう……。どうしてそうタイミングが悪いの? 魔理沙ってば……。
「さ、家に入れてくれよ」
「分かったわよ」
 とりあえず、私は家の鍵を開けて、魔理沙を先導するように家に入った。
 入るや否や、魔理沙はどかっと椅子に座り、あごをテーブルに置いてくつろぎだした。
「好きなの? その姿勢」
 肉じゃがから話を逸らすため、こんな事を聞いてみた。
 別にまともな返答を期待していたわけではないのだけど、
「んあ? ああ、結構好きだぜ、この姿勢」
 と答えてくれた。ああ、そんな一言じゃ話を逸らせないじゃないの……。
「じゃあさ、アリス! 私はこうやってのんびりまったり待ってるから、早く作ってくれ! 肉じゃが!」
「わっ、分かったわよ」
 魔理沙が目を輝かせて肉じゃがを催促するから、思わずこんな「分かった」って言っちゃった。
 ああ、もうこうなったらヤケだわ。やるしかない……!
 とにかく私は、キッチンで材料の準備を始めた。

 よし、準備も終えたし、早速作ろう。
 まずはじゃがいも。とりあえず、6つ切りにして水にさらしておく。
 ここで上海を横目で見る。上海はコクコクと頷いている。
 上海がノートを使っちゃうと、魔理沙に私が料理する事が出来ないってバレるから、とりあえず、上海には身振り手振りで協力してもらう事にする。
 次に玉ねぎ。幅2cmくらいで、くし形に切れば良いんだったわよね……?
 上海は必死に頷いている。うん、大丈夫……。
 とにかくこんな感じで頑張って作業をしていると、暇そうにしていた魔理沙は、
「暇だー……。なー、上海ー。暇だー」
「シャンハーイ?」
 何と上海を抱き抱えてじゃれ合いだした。
 上海はこちらを気にしているみたい……。でも、あそこで、上海が無理矢理逃げると魔理沙、気を悪くしちゃうだろうな――
 これ、何気にピンチじゃない!? どどど、どうしよう……。
 レシピを書いているグリモワールは、マズイ事に上海が持っている。
 というか、あったとしてもアレがアテになるかどうかは分からない。だって、アレの通りに作っても黒煙しか出なかったし。
「……」
 と、とにかく他にも人参とかがあるし、切っておこう。これは水にはさらさなくても良かった……。はず。
 人参を手に取って、包丁を入れていく。まな板と包丁のぶつかる音が、リズム良く聞こえる。
 そ、そうよ。私はやれば出来るんだから!
「おっとアリス」
「ひゃぁっ!?」
 魔理沙がいきなり、後ろから私の両手を掴んできた。
「包丁と材料の持ち方が悪いぜ。ここはこうするんだ」
 魔理沙は私の手を良いように動かして、手取り足取り教えてくれる。
 こんなに近くに居るだけでも心臓が止まりそうなのに、色々と教える為に喋るから、魔理沙の吐息が耳にかかって、もう頭が沸騰しそうなくらいにあああ……。
 だ、ダメだわ。本当にマズイかも……。こんなに幸せなら、もう肉じゃが作れなくてもいい気がしてきた……!
 って、そりゃダメなんだけどね。
「しかしアリス。お前、何だか手際が悪いな? もしかして、料理した事無いだろ?」
「え? そっ、そんな訳無いでしょ! 料理なんてしょっちゅうやってるわよ!」
 図星だけど、とりあえず誤魔化しておく。
「そーかー? 無理しなくても良いぜ?」
「むむむむ、無理なんてしてないわ!」
「じゃあこれ、次どうするんだ? 教えてくれよ」
 魔理沙はお肉を指差して、私に聞く。
 って、ただの材料じゃない。
「野菜と一緒に鍋に入れたらいいじゃな……むぐぐ」
「はい不正解」
 私が言い終わる前に、魔理沙は人差し指を私の口に押し当てた。
「肉は野菜を煮込んだ後なんだ。それのが美味く出来る」
「そ、そうなの?」
 思わず私が聞き返すと、魔理沙はカラカラ笑いながら、
「あっはっは。やっぱ、そうだったか」
「や、やっぱって」
「ああ。肉じゃが作ってくれって言って、『いいよ』って言ってくれた時は驚いたぜ。冗談のつもりだったからな」
 そ、そんなあ……。せっ、折角頑張ったのに……。
 少し心が折れかけていた私の頭に、魔理沙は自分の手をポンと乗せて言った。
「でもな、アリス。私は、お前が作ってくれるって言ってくれた事が嬉しくてしょうがないんだぜ」
 顔を上げれば、魔理沙はニッコリと笑っていた。
 その笑顔が眩しかった。
 ……もうっ! バカッ!

 その後、結局魔理沙が肉じゃがを作って、私は上海とただ待ちぼうけていた。
「な、何か手伝う?」
「いや、いい。私が頑張って、アリスの為に作るぜ」
 ニコニコと笑いながらそうやって言うから、私は待つしかなかった。
 さっきから私の顔が火照っている気がするけど、多分気のせいだろう。多分……。
「しかし、やり辛くて仕方が無いな。何だって、醤油とかの調味料を試験管に入れてるんだ? お前」
 魔理沙は醤油の入った試験管をブラブラ振りながら言う。
「え……。普通じゃないの?」
「いやいやいや。もっと良い入れ物あるだろ? ビンとかさぁ……」
 魔理沙は、試験管の栓にしていたコルクを親指で弾いて、中身を醤油に入れた。
 結構な量が入った気がするけど、まぁ料理が出来ると言う魔理沙のやる事だから大丈夫だよね……?
「さー、もうちょっとで完成だぜー」  
 空になった試験管を手でクルクルと回しながら、魔理沙は鼻歌を歌っている。
 ああ、私もあんなに楽しそうに料理が出来たらいいのに。
 やっぱり、もっと練習しよう。そして、魔理沙の為に料理が作れるようになろう。
 魔理沙が大好きっていう、肉じゃがを――。

「さぁ、出来たぜ!」

 気付けば、良い匂いが私の元まで漂ってきていた。
「いい匂いね。期待しても良いかしら?」
「オッケーだぜ! 今日の私の肉じゃがは、過去に作ってきた肉じゃがの頂点に立っているぜ!」
 魔理沙も自信たっぷり。ああ、お腹空いたわ。肉じゃが、堪能させてもらうかしら!
「さぁ! 召し上がれ!」
 魔理沙は肉じゃがを盛った皿をテーブルに置いた。
 盛られた肉じゃがは――
「こ、これは……!」
 真っ黒に染まっていた。 
「自信作だぜ!」
 魔理沙は胸を張って、「えっへん」とか言っちゃってる。
「あ、あはは〜……。魔理沙? これ、味見した?」
「してないぜ? でも、匂いがこんなに良いんだから大丈夫だろ!」
 そ、そうよね……。見た目だけで判断しちゃダメよね。
 そうそう。お腹も空いたし、早く食べよう!
「い、いただきま〜す」
 箸を手に取り、私はじゃがいも(らしきもの)を口に運んだ。

 モグモグモグモグ……。!? げっ、ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!

「どどどど、どうしたアリス!? も、もしかして喉に詰まらせちゃったか!?」
 ち、違うの魔理沙……! これ、匂いだけが100点満点……!
「ほらっ、水だ! 早く流し込め!」
 魔理沙はコップに水を注いで、無理矢理私に飲ませた。
「ちょっ……。んむむむ」
 いきなり水が流れ込んで来たから、じゃがいも(らしきもの)は私の喉を通っていった。
 
 私は、一週間腹痛で寝込んだ。

END

【あとがき】
紫煌刀様のように、あまーいマリアリを書きたかったですけど……。
上手く行ったかどうかは微妙です。
オチとかね、もう酷いねと言わざるをえな(ry

でも、これでもう私はスランプ脱出!
ありがとうございました!!(ぉ



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